昨日、非常に面白い本を読んだ。
現代の医療は高度に専門化している。そんな中で医療に貢献するための何か知見が得られるのではないかと思って読んでみたのだが、期待以上のものだった。
社会や組織にとって必要な「専門化」が行きすぎた結果、周りに壁を作り、情報の囲い込み、敵対化などが起こる。その状態が「サイロ」である。
その結果、繁栄していた企業や組織が衰退していく。その中でその状況を打開しようとしてもがいている人々。それに成功する者、失敗する者、いくつかのドラマがドキュメンタリー風に描かれ、読み物としても非常に面白い。「プロジェクトX」が好きな人であれば間違いなくハマるだろう(もう何年もテレビを観ていないので、古い喩えしかできなくて申し訳ない)。
だがそれだけではなく、我々オステオパスの仕事に当てはまることがいくつか含まれていたので、考察したいと思う。
この本の中で、フランスの人類学者兼社会学者であるピエール・ブルデューの話が出てくる。彼は地元のクリスマスのダンスパーティーの場で、みんなが注目している「踊っている者」ではなく、誰にも注目されない「踊らない者」に気がついた。それによって、誰も疑問を持たない暗黙の文化的規範に気付くことができた。
我々オステオパスも、症状の出ている部位(踊っている者)よりも、動きを失っている部位(踊っていない者)を見る。
珍しく(笑)具体例を挙げると、例えば頸椎の変形や腰椎のヘルニアは、誰もが注目する「踊っている者」である。しかし、それらは動きを失っている部位が存在することによって代償的に生じたハイパーモビリティ(過可動性)の結果であることが多い。「踊っていない者」を見つけて動きを作ってやらなければ、どんな治療をしようが、手術をしようが、再発を繰り返すことになる。
さらに、本書に出てくるサイロで失敗したすべての組織や集団では、誰もが全体像を見失っていた。
我々は全体の中で踊っていない者がどのように分布しているのかを見ることによって患者の状態を把握しようとする。それと踊っている者の分布とに整合性があると、我々は自分の評価に自信を持つのである。
他にも色々と教訓になることが書かれていたのだが、私が最も重要だと思ったのは、「既存の分類システムを疑え」ということである。これは、我々オステオパスの中で脈々と受け継がれている創始者の精神と合致している。問題の解決策は、分類システムの境界近くに存在することが多いということである。
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所長

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「問題の解決策は、分類システムの境界近くに存在することが多いということである」
自分のレベルではとても難しい文言です。前半部をさらに発展させているのでしょうか? いろいろな受け取り方ができるのではないかと思いますが……
まず単純に考えて、問題は構造上の変化する部分(胸腰椎の移行部など)もポイントになるということを連想して、内臓や循環においても何か動きや性質が変わる点(循環の合流部など)がポイントになるのではないか? さらに発展させると、あらゆる事象において、そのような変化のポイントにヒントがあるという話かと思いました。
しかし、先生がそんな単純な話をするわけもないかと考えて……
次の解釈として、問題はひとつの箇所や機能にあるのではなく、全体の中の関係性において起こるということかと思いました。
文章を読む時に、行間を感じるように、身体においても部分→部分の一方向の流れだけでなく、部分と部分が生み出す間に問題があるということではないかと。
例えば、頚椎の変形があったとして、部分→部分の流れであると、胸椎、腰椎、骨盤との位置関係や、筋膜や軟部組織のつながりから代償的作用で……など考えることができます。
しかし、構造的な問題だけでなく、体循環、ホルモン、精神など他要素が絡むことにより、それは一方向に問題が発生しているわけでなく、複数の方向から問題が生み出されることになります。そして、機能的な問題にしても、さらにたどると構造から生み出されている可能性もあります(例えが幼稚な件は目を瞑ってください)。
要素が二次でなく、三次、四次と立体的に見ることと、キーリュージョンのことを指しているのかと、まず考えました(そして、難しさが増して、どんどん手に負えなくなると思いました)。
先生が「解決策」という言葉を使っているのが、ひとつのポイントかと考えまして……
ですが、「解決策を見つけること」≒「問題を見つけること」とも考えて、このように考えてみました。
難しいですね (-“”-)
本文よりも長いコメントありがとう(笑)
この文章は読んだ本の中から、自分たちの仕事やその他多くのことに共通していそうなこと、つまり、真理に近いのではないかと思ったことを、本の中の言葉を引用しながら書いたものです。
だから、どう受け取ってもいいものだし、おそらく松本先生が書いてあることはすべて正しい(笑)。
「解決策」という言葉も本の引用(たぶん、うる憶えだけど)で、私自身も「問題」という意味でもとらえています。
この本では人類学的的な観点から、分類システムというものを、人為的に作られ、後天的・慣習的に身についたものであり、必ずしもそれが世界の真の姿を現しているとは限らないとしています。だから、分類システムを無視したり変えてしまうことによって今までと違ったものが見えるようになることがあるみたいなことが書かれています。
例として出てきたアメリカ、クリーブランドの病院では外科、内科という分類を廃止し、心臓病センターや泌尿器・腎臓センターといった新たな分類を作り、外科医や内科医、その他の科の医師や医療従事者が協働するといった試みをしています。面白いよね。
構造的、機能的とか、体循環、ホルモン、精神っていうのも分類システムだよね。でもその境界線っていうのは曖昧ではっきりと線引きできないものです。その曖昧な場所、あるいはそれを越えた場所に問題や解決策があるかもしれませんよっていう話です。
〈この本では人類学的的な観点から、分類システムというものを、人為的に作られ、後天的・慣習的に身についたものであり、必ずしもそれが世界の真の姿を現しているとは限らないとしています。だから、分類システムを無視したり変えてしまうことによって今までと違ったものが見えるようになることがあるみたいなことが書かれています〉
なるほど、面白いですね。言われてみると、あらゆることを形作っているのは人間そのものなのですが、理解しているのに普段はそのことを忘れがちですよね。
曖昧である、あるいは一体であるものを区分することで、いろいろ弊害があるのかもしれませんし、そこを取り払った時に新たな世界が見えるというのは、医療だけでなく科学や芸術などあらゆる分野に言えると実感できます。
ありがとうございます(‘◇’)ゞ