目に見えないものを見る

我々が扱うものの中で、大事なものは往々にして隠れているものである。目に見えないものをどうやって見ればよいのか。それは我々にとって切実なテーマである。私は3つの方法があると思う。

目に見えるものを徹底的に見る

逆説的であるが、古代から最も一般的な方法である。ゲーテ(詩人、作家として有名であるが自然科学者でもあった)は、植物を徹底的に観察することによって、植物の「原型」が見えるようになったと言った。スティルが解剖学を徹底的に勉強するよう言っていたのも、その先にあるものが見えるようにならなければならないという意味が含まれているのではないかと私は思っている。

現象の根底にある法則を知る

私の今年の大阪の講義に参加している人であればピンと来たと思うが、一つ目の方法は帰納法であり、こちらは演繹法である。要するに既知の法則やパターンに当てはまるかどうかテストしながら確認するものである。臨床家が最もよく用いている手法であるが、いろいろと問題もある。認知バイアス(自分の思い込み)ではないのかと常に自問すること、そして未知のパターンの可能性を開いておくことが重要である。

視覚以外の感覚を鍛える

一般の医療であれば、これを機器に頼る。我々オステオパスは伝統的に自らの知覚を徹底的に鍛錬する。人間の感覚が持っているポテンシャルは驚異的である。我々はすでにそれを備えている。「そんなものがわかるわけがない」という思い込みがあると、せっかく受容器が感知していても意識に届かない。それが最も一般的で最大の障壁であるが、それを越えると違う世界が見えるようになる。

これら3つのすべてを行うのがオステオパスである。私の見たところ、多くの医療体系(正統医療および代替医療)ではこれらのいずれかが欠けている。残念なことに、最近ではオステオパスを名乗る人であってもそうである。ほとんどは感覚的な部分を無視するか、科学的な部分を無視するかのどちらかであるのだが。

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ここに書かれていることは一人のオステオパスの個人的見解であり、オステオパシーの標準的な考えとは限りません。批判や意見は大歓迎です。

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