雑感 2018.3.6

以前、国際セミナーの際にアメリカの先生夫妻を空港に迎えに行った話を書いたと思う。その後日、その先生夫妻を京都から名古屋へお連れして夕食にもお連れした話まで書いたかどうかまでは憶えていないが。

その際、ガイドとしては上手くやれたと思うし、満足していただいたようだが、英語でのコミュニケーションは正直なところグタグタであった。必要なことはちゃんと伝えられたのだけれども。

セミナーが終わった後、お礼のメールを書き、その中で自分の英語の拙さを詫び、「次にお目にかかるまでにもっと英語を勉強しておきます」と(冗談のつもりで)書いた。すると、先生からの返事の中に、「英語はもっと勉強した方が良い。それはオステオパシーを十分に理解するためだ」と書かれていた。

それは、本や論文を原著で読むということだけではない。文章として書かれていいることがすべてではなく、それ以外は講義を聴いたり、質問したり、議論したりして掘り下げて行かなければ知ることはできない。それらは、翻訳や通訳を通せば良いのだが、自分の望む完璧なものが得られるかどうかは不確実である。

しかし、英語を勉強しなければならないという意味はそれだけではない。人は言語によって思考するため、思考は言語によって支配される。我々日本人は日本語のルールに従って思考し、アメリカ人は英語のルールに従って思考する。それら2つの言語には大きな相違がある。

先日、非常に面白い本を読んだ。

例えば日本語では多くの場合に主語が省略されるが、英語ではほとんど省略されることがない。この本では、そういったことがなぜ起こるのかがよくわかる。英語を勉強するということは、単語の意味を覚えたり発音の練習をしたりすることも必要ではあるが、こういった思考の根本の違いを知ることなのだと思う。

そういう点でも、翻訳の仕事をさせていただいているというのは、本当に有難いことだと思う。

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ここに書かれていることは一人のオステオパスの個人的見解であり、オステオパシーの標準的な考えとは限りません。批判や意見は大歓迎です。

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