抽象

昨日は「分割」に関して、アルビン・トフラーの言葉を引用したのであるが、トフラーはそのすぐ後にこのような文章を続けている。


「この技術はたぶん自然科学において最もよく磨きあげられている。そこでは、問題にぶつかるとそれを次々と小さな断片に切り分けるのを常としているだけでなく、都合のよい方便を使って、各断片をそのまわりの環境から切り離してしまう。セテリス・パリブス—他のすべてのものが同じであれば—というわけである。このようにすれば、当の問題と、残りの世界との間の、複雑な相互作用を無視することができる。」

この「断片をそのまわりの環境から切り離してしまう」行為を「抽象」という。この抽象に関して、トフラーよりもはるか以前に警鐘を鳴らしていたのがゲーテである。

「これも同じく自然だという大胆な主張には、少なくとも静かに微笑み、そっとかぶりを振って応える以外にはない。建築家にしても、自分の建てた宮殿について、これは山の地層だ、森林だと言うことなど思いもつかないのであるから。」

科学的であるためにはいくつかの条件を満たさなければならないが、「再現性」というものもその条件の1つである。

つまり、同じ状況であればいつ誰が行っても同じ結果が得られるということである。それを実現するためには、「抽象」という行為が不可欠になる。

しかし、我々の臨床では、複雑な相互作用を無視するなんていうことはあり得ない。我々は各断片も見るのだが、それよりもむしろ、それらがどのように関連し合っているのかの方を重要視する。

各断片に現れているのは「結果」である。我々が知りたいのは「原因」なのである。

分割・抽象は単に評価のためのステップの1つであり、そのままで診断を決定することはない。分割し抽象し、評価した後にはまた「もとに戻して」次のステップに進まなければならない。

その結果、何が起こるのか?

患者さんの抱えている状況は、すべての患者さんで異なっているし、同じ患者さんであっても来院ごとに異なっている(セテリス・パリブスなんてあり得ない)。そのため、当然の事ながら、毎回治療のやり方が異なることになる。

こんな当たり前のことが医療の現場では無視されているし、患者さんの多くも気付いていないのである。

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所長
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