具体と抽象

アメリカの先生の送迎という大役を果たしホッとしたのもつかの間、今週末は大阪での講義である。今日は参加者に向けて書いてみる。

臨床の場でも学習の場でも、私の意識は常に具体と抽象の間を行ったり来たりしている。

しかし、このブログでは敢えて抽象的なことしか書かないことにしている。そして、講義の場で私が話すことは、ほとんどが具体的なことである(だって抽象的な話はみんなの食いつきが悪いんだもん)。

私の講義の参加者には、このブログを良く読んで欲しいと思っている。私が話している具体的なことの背景にある思考がここに示されているからである。

具体的なことを覚えて帰っても、それが役に立つのは、たまたま私が提示した状態に当てはまる患者が来たときだけである。逆に自分が知っている具体に患者を当てはめようとすると手痛い失敗をすることになる。

背景にある理論や思考を理解していれば、自分で治療法を生み出すことも、診たことがない症例に対処することも可能になる。

しかし、せっかく理論や思考を身につけても、それを具体的に応用するアイデアがなければ宝の持ち腐れとなる。それを認識し、身につけるためには、やはり講義に出席することが必要となる。

文章で理解できることを講義の中で話すことは、時間と労力とお金の無駄である。そこはぜひ独学で頑張って欲しい部分である。

講義の中で最も重要な部分は、やはり実習の部分である。感覚的な部分、文章の中では大概省略されている身体の使い方、そういったことを独学で身につけることができるようになるのは、知識と技術のレベルがかなり高くなってからである。

あと、本やネットには書かれていない情報が手に入るのもこういった講義の場である。だからこそ、私も未だに多くの講義を受けに行っているのである。

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所長
ここに書かれていることは一人のオステオパスの個人的見解であり、オステオパシーの標準的な考えとは限りません。批判や意見は大歓迎です。
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2 Replies to “具体と抽象”

  1. いつもためになる記事をありがとうございます。
    過去の記事を見返してみまして、具体論と抽象論の部分で「食いつきが悪い」と以前にも書かれていまして、そのような印象がきわめて強いのだと伝わってきました。決して食いつきが悪いわけではないと思うのですが……( ̄∇ ̄)

    その論点からの質問なのですが、具体と抽象において行き来させることの重要性は理解できるのですが、具体の部分が不十分だと、抽象的な推論の正否も正しい評価ができないので、まず正確に局所を診断できることが必要だと、そちらの練習に励むわけです(確かに結果的に具体の方向に偏るきらいはあります)。
    学習の過程においても、具体→抽象ではなく、具体←→抽象のように常に双方のバランスを取っておく必要があるのでしょうか。

    ……抽象的な部分が正確にわかっていないと、治らない場所(代償性の場所)にアプローチし続ける可能性もあるから、結局、全体を見た視点で治療しないと、具体の部分で正否の判断がつかないのも理解できます。

    この質問をしながら、いくつかの思考が出てきたのですが、具体的な部分の向上は練習や指導だと思うのですが、抽象的な部分については、どのように向上させるべきなのでしょうか。
    結局、いちばん固いところや目立つところを治療してという流れになると、いつまでも抽象的な部分は伸びないような気がしまして……(もちろん、経験やパターンの蓄積ができますので、その恩恵はあると思うのですが、抽象的に見る根本的な資質とはちょっと違うのではないかと思うのです)。

    1. 松本先生

      コメントありがとう。こういうコメントがもらえると嬉しいね。

      回答はここに書くのはもったいないから明日の講義で話そうかと思ったけど、他の人に怒られそうだから、また記事にして今日中にアップするよ。

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