科学と臨床2

先週、国際セミナーが終わってからは診療も翻訳も忙しくて更新が滞っていたのだが、有難いことに催促があったので書いてみる(決して暇になったわけではないのだが)。

前回の記事に対して、私の講義にも参加してくれているM先生からフェイスブックの方にコメントをいただいた。こうやって、いただいた意見から思索を広げていくというのが、そもそも私が望んでいた展開なので、本当に有難いことである。

まずは、コメントを引用させていただこう。

『もともと科学も、最初はある人物の仮説(科学でないこと)から始まっているので、発展しようとする以上は「科学でないこと」を避けることはできないのではないでしょうか。
また、その時代で科学とされていたこと(天動説とか頭蓋内にリンパがないこと)も、必ずしも真実とは限りませんでした。
臨床で仮説を扱う時の問題は、その仮説の精度や、患者に対するリスクの少なさ、メリットを持っているかなどを勘案するのでしょうけど、結局はその人の意識と無意識に委ねられているように思います。
でも、それは人によって違うと言うことでしょうね。
実際に最近も「スタンダードってなんだろうか」と考えました( ̄∇ ̄)』

引用ここまで

素晴らしい!

このテーマに関しては今後も記事を重ねていくことになると思うので、少しずつ進んでいこうと思う。

こういったことを議論するのであれば、まず科学そのものの定義や条件を明らかにしなければ話にならない。しかし、それに時間(字数)を割いたところで我々の臨床の役に立つわけでもなさそうなので、ここでは割愛させてもらう。

カール・ポパーが示したように、完全に正しい理論は存在し得ない。存在するのは「現時点で最も妥当な仮説」であって、どこまで行ってもそれを越えることはできない。

実際のところ、臨床において「科学的かどうか」という点は最も重要な要素ではない。最も重要なのは「患者にとって有益か有害か」であり、「科学的かどうか」はそれを計るための指標にすぎない。

しかし、その指標となるデータには恣意的な部分が含まれている。例えば、0.1%と0.2%の間の動きを「2倍になった!」あるいは「半分になった!」と言うこともできる。生データに当たることも追試を行うことも困難な我々は、すべてを鵜呑みにしてはならないのである(しかし、その取捨選択には我々の恣意が関わってしまう)。

こうやって書いてくると、なんだか私は科学を否定しているようだが、まったくそんなことはない。前回も書いたが、私は科学を肯定しているし、科学の発展を望んでいるものである。

ただ、自分の患者が健康を取り戻すことの方が、科学的であるのかということよりも大事なだけである。

最後に、私の意見はこうである。

地図を集めることは確かに役に立つが、コンパスの精度を高める方がもっと有益である。

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