私が月2回(時々3回)診療スペースとして利用させていただいている和歌山のサロンLYCKAのミカさんは、私と同じ時期にブログを始めたのだが、私と違って1日に数回記事を投稿している強者である。私も何度かネタにされている(笑いの)。
昨日はその診療日だった。ミカさんと話をしていて、ある事柄について話をした後に「これはブログに書こうと思ってるんですけどね」と言ったら、「先に書いたろかな」と言われたので、急いでまとめてみた。
人はものを考えるとき、自分自身に対して質問を投げかける。簡単な例を挙げれば、「今日は何を食べよう」「今日は何を着て行こう」といった感じである。
これらの質問は習慣化し、バラエティが減っていきがちである。同じような質問をしていると、同じような答えしか出てこない。そうなると、いつも同じような行動をして、同じような結果しか得られなくなる。頭が固い、あるいは固くなっていくということは、結局こういうことなのだと思う。
できるだけ普段自分がしないような質問が欲しくて、私は大量の本を読んでいるのであるが、このテーマは別の記事にしようと思う(これもミカさんには話してしまったので急いで書かなければならない)。
また、質問がズレていれば、ズレた答えしか出てこない。逆に、的確な質問ができれば、その答えや答えを導き出す方法はしばしば容易に導き出される。多くの科学者や哲学者は、答えよりもむしろ適切な質問を探すことに尽力している。良い答えが見つからないとき、まず疑うべきはその質問の方である。「自分はいま適切な質問をしているのだろうか?」そういう問いが必要である。
「この症状の原因は何なのか?」
これらは一般的な質問である。多くの場合、これだけでは足りない。具体的な質問はここでは割愛させていただくが(講義では喋ります)、一つだけ、私が患者さんに最初に触れるときに自分自身と患者さんの身体に問いかける質問を。
「私はこの患者さんに今何ができるのだろうか?」
この本、新版になってなんだか安っぽい自己啓発本みたいなタイトルになっちゃったな(私が読んだ旧版は「QT 質問思考の技術」だった)。翻訳者も旧版とは違うし、安っぽい本になっていなければ良いのだが。
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所長

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